現在の仕事に就いたのは偶然!? 株式会社玉川堂 白鳥みのりさん【前編】

いつもアイルの記事を読んでくださり、ありがとうございます😊
前回から始まった社会人インタビュー第2弾です!

生き生きと働いている新潟の社会人を取材することで、新潟県の学生に新潟県の可能性に気づいてもらいたい!
そんな思いが社会人インタビューに込められています📌

学生視点での新潟に留まらず、社会人視点からの新潟も知る
そして、今まで気づかなかった新潟を発見していきましょう💡

今回は、新潟県燕市にある株式会社玉川堂(ぎょくせんどう)の営業・広報担当、白鳥みのり(しろとり みのり)さんにお話をお聞きしました!

株式会社玉川堂は、創業約200年の鎚起銅器(ついきどうき)屋さんで、金物の街として知られる燕三条を代表する老舗企業です。

玉川堂で製造される鎚起銅器は、職人の手作業によって作られます。そのため、完成するまでに長い期間を要します。
そのようにして作られた鎚起銅器は、日本国内だけでなく、海外にも多くのユーザーがいるようです。

玉川堂の工場内と1枚の銅板から湯沸かしが作られる工程

2月の春休み中に、玉川堂の工場見学に参加した筆者。そのときも様々なお話を聞けたのですが、より詳しくお話を聞きたかったのと、玉川堂で働かれている若い人を取材し、なぜここで働かれているのか聞いてみたかったため、今回改めて取材を依頼しました!

金物の街 燕三条、工場見学がブーム!?

最初に自己紹介として、お名前、出身地、現在の
ご職業を教えてください。

白鳥みのりです。出身は新潟県の三条市(旧栄町)というところです。
現在は新潟県の燕市にある株式会社玉川堂で働いています。鎚起銅器(ついきどうき)と言って板を手で叩いて、いろんな器を作るような会社です。私は、営業や広報を行っています。

ありがとうございます。
営業や広報では具体的にどんなことをしているのか教えてください。

そんなに組織も大きくないので、いろんなことをします。
最近はコロナの影響が強いのですが、SNSの運用をしたり、他社の媒体に載るとか撮影が入る際は、それの取材対応をしたり・・・。あと、今はあまりないですが、展示会みたいなものがあれば、それに行くこともあるかもしれないですね。

基本的にうちは、ここの燕にある本店と東京にある銀座店の直営店の2つでやっています。
いわゆる外を周っていろんな取引先に行って・・・みたいな営業というよりは、うちに来る人への対応を中心に行っています。

でも今は、そもそも(来る人)が少ないっていうのもあって、基本的には社内にいるかな。接客みたいなほうがイメージに近いですね。

そうなんですね。
私は、以前に玉川堂さんの工場見学に伺ったことがあり、スタッフの方に案内してもらいました。そのようなこともやられているんですか?

そうですね。工場見学を営業している間はいつでも一般の方が入れるようになっています。今は自由に入って見学するよりは、15~20分で制作工程や会社がどういう規模でどんな歴史があって・・・っていうことを説明するので、そういう対応も含めて接客をしています。

もともと工場見学で案内はしていなかったのですか?

いや、もともと行っていました。一度来ていただくとわかるのですが、(工場内は)ちょっとわかりにくいんですよね。いきなり入って、「見ていってください」って言われても、どこまで入っていいのかわからないので、お客様は困ってしまうんです。そのため、以前から、工場見学をする人がいれば、案内はしていました。

ただ、最近まで、工場見学を目指してくる方があまりいなかったんですよね。それこそKOUBAの祭典などをきっかけに工場見学自体の認知度が上がって、来る方が多くなったような感じ。だから、もともと案内はしてたのですが、(見学に来てくださる方の)数は少なくて、最近その数が増えてきたんですよね。

KOUBAの祭典とは、後継者不足など様々な問題を改善するために、燕市・三条市内の工場を開放し、製造現場をそのままお客様に体感していただく工場見学のイベントです。

燕三条 工場の祭典とは | 燕三条 工場の祭典 (kouba-fes.jp)

わたしも工場見学を目的にして燕三条を訪れた一人です。

どういうきっかけで来られたんですか?今回の取材の一環ですか?

いえ、今回の取材は関係なく・・・。
大学で初めて燕三条のことを学んで、興味をもったんです。春休みに時間がたくさんあったので、母と2日かけていろんなところを見てきました。

そうなんですね。
でも、これまでは本当に、外から来る人も燕三条駅があるから燕三条駅で降りても、弥彦の温泉の方や村上の方に行ってしまったりと、(燕三条は)通過点みたいだったんです。しかし、最近、工場見学っていうのが一つのコンテンツになって、外から人が来る大きなきっかけになったなと感じますね。

なるほど。KOUBAの祭典では普段見れない工場が開放されていておもしろそうなので、KOUBAの祭典に参加してみたいと、私もずっと思っています。

思い出とともに経年美化する鎚起銅器(ついきどうき)

仕事をする上でなにかこだわっている部分等はありますか?

そうですね・・・。
私たちの製品は、作るのに時間がかかって、かなりの大部分を人の手で行っています。だから、個体差があったりと、工業製品的な均質さみたいなものが難しかったりするんですよね。そういう、製品を作るうえでのポイントみたいなものを伝えるっていうことにはこだわっています。

それから、今度は製品が、お客さんの手に渡ってからなのですが、うちの品物ってすごく長く使えるんですよ。それは丈夫っていうことではなくて、銅で割とシンプルな作りをしているので、壊れにくいし、壊れても修理ができるんですよね。

実際、親子三代でやかんを使ってますとか、結局この急須をいつ買ったか覚えていないけど、いつのまにかこれを使っていて・・・、みたいなことが本当にいっぱいあるんですよね。

いろんなものがある中から買って、使って、ちょっと壊れたら捨てるみたいな商品とはまた違う性格のもの。こういう言い方したらちょっとおこがましいかもしれないですが、子どもとかに近い、ずっと一緒に過ごしているものになりえると思っています。

それをずっと使っている間にいろんな思い出があって・・・。
「子どもが生まれたら、ちょっと手入れが行き届かなくなったなぁ」とか、「猫が棚から落としてへこんじゃったなぁ」とか、そういうことがたくさん積み重なって、それでも使えるものなんです。だから、長く使うってそういうことですよねってことが、伝わるといいなぁと思いながらやっているっていうこともこだわりの1つですかね。

少し違うかも知れないですが、本店の居間みたいなところに2つのやかんがあって、もともと同じ色だったんだよっていうお話を聞いて、時間が経つ、使っていく中で変化していくことでその製品に対する思い入れが一層強くなるんだろうなあと感じました。

玉川堂内に飾られている2つの湯沸かし。左は完成したばかり、右は3年前に製造されたもの。もともと同じ色の湯沸かしだったが、3年でこれほど色が変わる。

そうですね。
でも別に、古いものが良いっていうわけではないんですよね。長い間、使って変わるっていうことに良さっていうか、個人的な愛着とかに近いものが感じられると思うんですよね。

だから、工場見学の後にあの2つのやかんを見せて、古いほうがいいですねって言われると、なんかちょっと違うなぁと思うんですよね。

少しわかる気がします。

工芸品のイメージって、‟大事にしないと大事にしないと”って思われがちですが、本来工芸品であっても道具として作られているので、日々使って、多少色が変わちゃったりっていうことは当たり前のことで、「使うためにあるんだよ」っていうことを伝えるようにしています。

そうなんですね。とても素敵なこだわりだと思います。

玉川堂への就職は偶然の積み重ね!?

では、どうして現在のお仕事をされているのか、経緯を教えてください。

玉川堂のことを知ったのは、学生時代、KOUBAの祭典に来たときでした。それもKOUBAの祭典があることは知っていたのですが、(当時)秋田にいたときに知り合った人がKOUBAの祭典に行きたいんだよねって言ったんですよ。

調べてみたら尚更面白そうだったので、行ってみようってなりました。KOUBAの祭典を周る中で、訪ねた1つが玉川堂だったんですよね。それが最初でした。
でも、結局私は学生生活が終わってから、東京で1度企業に勤めました。

そうだったんですね。

それで、東京で勤め始めてすぐに「ちょっとこれは長く続けるのは難しそうだな」と感じてしまって、でも、大した経験も無いのにどこが雇ってくれるんだろうなぁみたいなことを考えていました。

そのとき、頭に浮かんだのが玉川堂だったんですよね。
というのは、玉川堂って銀座に直営店があって、「なんか、東京で地元っぽいこと、地元に関係することを仕事にできたらいいじゃん」くらいの考えで(直営店に)相談してみたんですよ。

そうしたら、紆余曲折あって東京のほうではなく、この燕のほうで働くことになったので、まあそれは(新潟に帰ってくるという)巡り合わせだったんだろうなと思っています。

まあ、玉川堂の店舗が銀座にあったからっていうのはあるし、最初は燕市で働くっていうことも考えていなくて、なんとなく話しているうちに、燕でもいいかぁみたいな感じになって。だから、最初は割と、大した志の無い理由から流れ着いたみたいな感じなんですよ(笑)

いやいや、そんな・・・。
学生時代に玉川堂を訪れたときは、なにか感じましたか?

いや、あんまり(笑)
「こんな町中に、こんな古いお家があって、こんな畳敷きのところでカンカンやってる~」とか、「1枚の板から、このやかんが出来るの!?」みたいな、本当に普通のことです。急に感じるものがあったわけではなくて、超消費者的に「うわ~すげ~」みたいな

そうだったんですね。

だから、もし別の企業が東京に出店していればそっちに行ったかもしれないですし(笑)

本当に偶然だったんですね(笑)

※取材日2021年4月19日


前編を振り返って・・・

白鳥さんのインタビュー【前編】では、白鳥さんが勤める株式会社玉川堂の魅力と、現在そこで働かれている経緯についてお話していただきました。まさか、玉川堂との出会いが偶然だったなんてとても驚きました!


インタビュー【後編】では、白鳥さんが考える新潟の魅力可能性についてお聞きしました。最後には、学生に向けてのメッセージもいただきました!後編も、最後までぜひお読みください!

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