【対談(大学生×社会人)】留学を通して感じた日本の新たな可能性・留学経験者が語る留学のリアル|株式会社RyuLog代表取締役 平良美奈子さん

いつも記事を読んでくださりありがとうございます!今回は、株式会社RyuLog代表取締役の平良美奈子さんと、8ヶ月間カナダに留学に行ってきたはるっちで【大学生×社会人の”留学”対談企画】を実施しました✨「留学で衝撃を受けたこと」「留学を通して得た新たな価値観」などについて学生・社会人それぞれの立場から語り合いました。

最後には、RyuLogさんから留学支援サービスのご紹介もあります!
留学の様子を知りたい
・これから留学を控えている
留学に行きたいけれど勇気が出ない
留学にはとりあえず興味関心がある
というすべての方へ読んでいただきたい内容となっています!!ぜひご覧ください☺️

名前:平良 美奈子(たいら みなこ)

株式会社RyuLog代表取締役。沖縄県出身。辺野古にある沖縄工業高等専門学校(以下、沖縄高専)に7年間在籍し学位を取得。大学生3年生に相当する年に「トビタテ!留学JAPAN」1から奨学金をもらう機会があり、「内にこもるのではなく、外側に自分から行きたい」という強い気持ちのもと留学を決意。シンガポールに2ヶ月間滞在し、母校である沖縄高専のインターンシップ先を開拓するという目的のもと営業活動をを実施した。

  1. 一人一人の学生がしたいことを応援することを目的とした文部科学省による奨学金プログラム ↩︎

名前:はるっち

新潟県出身。新潟県立大学在籍。カナダ、ノバスコシア州の州都であるハリファックスに8ヶ月間滞在し、語学留学と学部留学を経験。語学力の向上はもちろんのこと、多文化主義国家で知られるカナダで多文化共生について考えることを目的に、学部の授業や異文化交流に積極的に取り組んだ。

留学形態は多様にある

本日はよろしくお願いします!まず、平良さんの経歴をみて、工業系の学校から留学に行かれるというのが珍しいなと思ったですが、平良さんがトビタテ!留学JAPAN(以下、トビタテ)を利用してシンガポールに行かれた目的はなんだったんですか?

元々トビタテがその人自身の熱意と計画性を留学計画の評価として扱っていくということを知っていたので、私のように外に行きたいけどなかなか機会のない子たちの足場を作るということを先輩の私ができればなと思っていたのが一つです。
二つ目が、私が通った高専という学校では、15歳から専門的な技術を学ぶのですが、実はそのレベル感って世界でみても、技術的に同年代の中で秀でているものがあるのではないかという感覚がありました。

なので、海外にいくきっかけがあったらその技術力を使って、もっと広い世界を知ることができるのではないかと思い、じゃあ私がその開拓だけしてくるということで、シンガポールにインターシップ先の開拓を目的に行きました。結果的に、2ヶ月の滞在だったのですが、一番初めに3人のアポイントしかなかったところから最終的に100人近くの日本人の方にお会いする形になりまして、それが私にとって価値観の大きく変わる留学滞在期間になりました。

少し気になったのですが、トビタテ!留学JAPANは学校の方から紹介してもらった形ですか?

まさに聞いていただきたかった部分で、私自身が知ったというよりも、私の恩師が教えてくれたというのが一番最初です。

そうなんですね!もともと留学への興味はあったんですか?

ありました。英語はいまだに苦手なんですけれども、海外に行きたいという気持ちはずっと恩師に話をしていました。その恩師は、「研究頑張ったら国際学会に連れていくよー」という馬の鼻先に人参をぶら下げてくれるようなタイプの先生だったんですけど(笑)、国際学会にもそのおかげで行かせていただきました。そして、その延長でトビタテの申請の話がきた時に、すぐに私に声をかけていただいたのが一番はじめのきっかけになりました。

はるっちさんは、なかなか語学的なものもそうですけど、同時に現地の生活に慣れる必要があって、対応しなければいけないことが多かったと思うのですが実際大変じゃなかったですか?

はい、本当に大変でした。ですが、最初に語学学校に在籍したのが自分のなかで大きかったと感じています。語学留学には初め、がっかりするほど日本人が多かったんです(笑)日本からの留学シーズンだったので8、9割が日本人でした。
せっかく海外に留学しにきたのになんでこんなに日本と変わらない学校生活を送らなければいけないのだろうと思っていたのですが、結果的には異国の地で日本を感じられる部分があったことでホームシックなどにかかることなく、生活に慣れていくことができたのではないかと感じています。

なるほど、段階的になれていくクッションとしての機能があったのかもしれないですね。私は留学期間中、自由度が高く、会いたい人に会いにいくことをしていたのですが、学部留学とかだと特に毎日の授業についていかなければいけなくて、プレッシャーを感じそうだと思うのですが、そこら辺のハードルはどうでしたか?

本当にその通りです。語学学校から本学の授業に切り替わったときに、それまで日本人が多かったところから、逆にクラスに日本人が自分一人しかいないという環境に入ったことのギャップは大きかったです。また、ディスカッションなどでクラス全体に自分の意見を述べる機会も日本の大学よりも多いので、特にプレッシャーに感じました。

すごいと思います。変な話なんですけど、私はシンガポール滞在期間中に日本人としか関わっていないんです。

え、そうだったんですか!?

沖縄高専は理系の学校なんですけど、英語に苦手意識があって理系が好きだから入学する子が多いんです。なので、日本人のサポートが受けられるということを意識してインターンシップ先の開拓を行っていました。逆にすごくよかったのが、日本人のコアなネットワークに入れたということです。なので「The 留学」という経験をしていないのを少し負い目にも感じています。はるっちさんのように、マイノリティーを感じることができるのは留学の本質の一つだと思うので、それはとても宝になる経験だと思います。

留学を決意したきっかけも人それぞれ

先ほども少しお話いただいたのですが、留学を決意したきっかけなどをもう少し深く教えていただきたいです。

私の場合は、決意というものはあまりなかったように思っていて、目の前に飛び込みやすいチャンスがあったから飛び込んだというイメージの方が強いです。
交換留学生や正規留学生は、準備するものや他に判断するものがとても多いのでより大変だと思います。しかし、私の場合は出来上がったプログラムに対して、書類を8枚書いて応募するということが最初のハードルで、それらの書類と面接が通ったら全額支給の奨学金がもらえるというものだったので、そんなにおいしいことはないなと感じ、さほど悩むことはなく応募することができました。

なるほど、では滞在先がシンガポールになることも初めから決定したんですか?

これは本音と建前のようなものがあるのですが、結果シンガポールに滞在してよかったと思います。シンガポールはマレーシアという国から追い出される形で建国された国で、水すらも買わないと手に入らないという資源に乏しい国なのですが、この50年で人材投資に力をいれてアジアのビジネスハブを担う国になりました。という点で、後進が活躍しやすいような土壌がある国だなと感じました。例えば、優秀な学生に対しての奨学金制度などにすごくフレキシブルに対応できていると思います。

ただ、なぜシンガポールにしたかというと、母校の提携先が台湾かシンガポールだけだったんです。なので、より遠いところに行こうと思ってシンガポールにしたというのが最初の理由です(笑)。
すごく恥ずかしい話、私にとってシンガポールという国は発展途上国だというイメージがありました。赤土の中に屋台が並んでいるみたいな。ですが、実際に行って度肝を抜かれました。

そうだったんですね。私的には、シンガポールというとマリーナベイ・サンズが一番最初に連想されるのですが、実際にシンガポール全体が都市のような街並みなんですか?

マリーナベイ・サンズなどがある中心地に関しては、オペラを観ることができるなど、観光をメインにしたイメージ通りの街並みです。ただ、そこ以外にも日本でいう銀座のようにデパートが並ぶ地域や、少し郊外に行くと住みやすそうなエリアがあり、すごくきれいに区分けされている印象です。
行ってみてすごく思ったのが、それらのデパートがたくさんあるようなエリアで本当にいろんな人たちが買い物をしているんです。高級ブランド店に半袖短パンにスリッパで買い物しているみたいな。そのときに、経済発展ってこういうことなのかと衝撃を受けました。何気ない生活の中で高級なものを買うことがあるのかと。

これが発展している国で、沖縄が本来こうなることができていたのかもしれないなと感じました。アジアのビジネスハブになることでこのような都市になることができていたのかと思いました。シンガポールという国が「株式会社」と呼ばれるくらいすごくロジカルに利益を追求して発展していくというトップダウンの国だったのもあって、街の中もすごく綺麗ですし、またシンガポールの土地全体が国有地なので、ここまでのことをやりきるスピード感とリーダーシップみたいなものは感じながら過ごしていました。

すごいですね、、。上手くバランスがとれているというか、都市の中で観光地としてだけでなく、暮らしやすい一面もあるといういうのは初めて知りました。

そうですね、国としてすごく面白かったです。今は、またちょっといろいろ変わっていると思いますし、定住して初めて感じる闇の部分というのはもちろんあるとは思いますが、2ヶ月の中では経済発展の勢いが衝撃として残りました。

私が留学を決めたきっかけは、どちらかというと王道の理由になるのかなと思うのですが、英語教員を目指そうと思ったのがきっかけです。私の学生時代の恩師が留学を経験していて、その留学経験を授業に生かしているのがすごくかっこいいなと思って、私も教員を目指し始めた時点で留学に行くというのを決めていました。

キャリアが先の目的だったんですね。素晴らしいと思います。

はい。なので大学を選ぶ際も、留学ができて英語の教員免許も取得できる大学というのを一番に考えて選んでいました。そして、実際にカナダでよかったなと思っているのは、日本と移民の受け入れ数が全く違うので、本当にいろんなバックグラウンドを持った人たちが一つの土地で暮らしているということです。
ハリファックスという小さな街でもいたるところにいろんな文化が混ざっていて、それを暮らして当たり前のように感じられたのがすごく新鮮でした。

私も実は、国際学会でお邪魔したのがカナダのモントリオールだったんですよ。5日間だけではあったんですが、もともとフランス領だったこともあってフランス語が使われていたり、街中に石畳の道路やレンガ調の建物があったりで、生活が豊かになるような感覚が当時あったのを覚えています。はるっちさんが行ったところもそういった場所だったのかなというのを話聞きながら想像していました。

私もカナダ滞在中にモントリオールに旅行したのですが、また少し違う雰囲気があるかなと思います。ハリファックスからモントリオールまで飛行機で1時間ほどの距離でカナダの中では近いところに位置する都市だったのですが、行ったときにヨーロッパに来たんじゃないかという感覚がありました。それはフランス語圏特有の雰囲気なのかなと思います。
中心部の方に移ると他の都市でも見られるような現代的な街並みに変わるので、同じ都市の中でも違う要素を併せ持っているなと感じた覚えがあります。

カナダ一つとっても日本と同じように、場所によって雰囲気が変わりますもんね。それぞれに素敵な魅力があると思います。私もまた行きたいです。

留学は語学を学ぶだけじゃなかった

私の場合は、「留学=語学を学ぶ」という要素が強かったのですが、それ以外の部分で現地に行かなければ得ることができなかったことについてお話したいなと思います。平良さんはどうでしたか?

そうですね、いくつか観点はあるかなと思っています。大きい目線の話で言うと、自分が日頃過ごしていた高専や沖縄、日本という場所を客観的にとらえ、世界の流れを意識することができたことは、唯一日本という領域を飛び出したときにしか経験できないことだと思っているので、大きかったです。
なので先ほどちらっとお話した部分で、「沖縄は本当はもっと成長することができたんじゃないか」とか、「アジアのビジネスリーダーって日本じゃなくてシンガポールなのかも」という危機感を持つことができたのは私の中ですごく大きい価値観の変化だったなと感じています。

二つ目に、一人の学生として私が何を得たかについてですが、いろんなビジネスリーダーの人たちと利害関係なく繋がることができたのは自分にとってとても貴重な経験でした。少し留学とは違う形になるかと思いますが、私は営業活動としてシンガポールに滞在していました。そこで、戦艦大和を作ったIHIさんという重工業系の企業さんにご提案させていただくことができたり、その方たちがこういった学生を応援してくれないかということで私のことをさらに紹介したりしてくださいました。

沖縄で生まれ育ってずっと山の中にいた私にとって、そういった方々との出会いは、世界の広さや、様々なキャリアの形を実感する機会になりました。その中で自分もこうした人たちみたいになってみたいという野心が大きくなっていったというのもあります。なので、自分のガラスの天井を一気に壊してくれた方々だと思います。

なるほど、それが現在の起業に繋がる経験になったんでしょうか?その時点でご自身のビジネス構想などは何か立てていらっしゃいましたか?

まさにおっしゃる通りです。いろんな企業の方とお話する中で、今は学生だからよくしていただいているけど、社会人になったときに肩を並べて話をすることが今の状態だとできないなと感じました。

なので、5年、10年後にこの方々と仕事の話をすることができるようになりたいと思ったのがまず1点。
2点目に、彼らは中高大の中のいずれかで海外に接しているというバックグランドがあった上でこのようなビジネスをされていて、沖縄の子たちはここまで仕事をできるようになるのかなって疑問に思ったんです。なので、やっぱり学生のうちに海外を経験してもらうことで後々沖縄、また日本全体のビジネス力の向上につながるんじゃないかと思いました。

留学の環境でビジネスに関わる大人の方たちと会う機会はどのように作っていらっしゃったんですか?

Facebookから現地の日本人会経由でひたすらにアポを取って、実際に会社を訪問して、新しいコミュニティを教えて貰って、を繰り返していました。

ご自分でアポから何までやられていたんですか!行動力がすごいです。

でもやっていることはそんなに難しくないんです。連絡をとって、「母校のインターン受け入れを検討してくれないか」と提案をし検討していただく、その上でまた人を繋いでいただける。さらにご縁があればご馳走していただける。と、私からすると非常にありがたいことばかりでした(笑)。
業界や企業の前提の知識が少ない中でも、質問したらなんでも答えてくださる皆さんばかりで、知識欲が満たされていく興奮がすごかったのを覚えています。

おそらくこれは自分の能力と言っていいかなと思うのが、「質問力」ですね。どんな簡単で素朴な疑問でも、真剣に聞くと皆さん本当に親切に教えてくれました。知らないことを恐れずに聞くことができれば、目上の方ともいろんな話が盛り上がるんじゃないかと思います。

それは同感です。私も留学経験で質問力を鍛えられたのと、その重要性を実感しました。先ほどもお話ししたように、カナダは多様性に富んだ国なので、私の場合は英語ネイティブの人と交流する機会のほうが少なくて、「どこ出身?」から会話が始まることが多かったです。

私は現地の学生よりも、同じくカナダに訪れている留学生の友人が多かったので、普段集まって話している中でも韓国人、コンゴ人、ブラジル人など全員の出身が違うのが当たり前でした。逆にお互いが知らないことしかないので、日本人特有の「言わなくてもわかる」という雰囲気がなく、相手のことを知るためにとにかくいろんなことを聞き合っていました。
だんたんと好奇心が湧いてきて友達と話していても「なんでそう思うの」と聞くことが多くなりました。

それはすごく大切なことだと思います。結局世界平和も同じで、お互いを理解しに行くというスタンスが大事ですよね。

本当にそうだと思います。文化が違うとどうしても分かり合えないこともあるのかなと思ったんですが、そんなことはあまりなくて、どうコミュニケーションをとるかで結果は全く変わってくると思います。
私の友人たちの人間性もあると思いますが、お互いが違う文化に寛容で、その違いを認め合って仲良くなることができたのがとてもいい経験になりました。

もちろん触れちゃいけないタブーや、マナーもあるとは思うんですが、失敗することがダメだとは思わないので、恐れずにどんどん挑戦してほしいですよね。

勇気を出して今の友人たちと出会えて本当によかったです。本当に最初の一歩めの勇気が重要だと思います。

あとは、日本で無意識的に同調圧力にさらされて育ってきた私にとって、友人の意見や、集団の中での自分の選択が負担に思うこともありました。しかし、この経験を通して相手と違う意見を言うことを恐れなくなったというか、「あなたがそう思うのは認めるけど、私はこう思うよ」というように相手と自分の意見の境界をはっきりとさせることができるようになりました。

これはかなり大事な価値観であるべきコミュニケーションの形だと思います。日頃クラスの中でそういった息苦しさを感じている子たちが多い時代によりなっているんじゃないかと思うのですが、変に合わせる必要は本当はないよというのは知ってほしいですね。

帰国後、日本や地元に対する価値観が変わった!?

留学を通して、平良さんにとって沖縄に対する価値観が大きく変わったというお話があったんですが、それについてもう少しお話いただけますか?

私は沖縄で生まれ育って、沖縄高専という学校に通い、そこそこいろんなことに取り組んでいる学生でした。学生会長をしたり、学祭の実行委員長をしたり、バスケ部で全国大会出場を経験したりなど、、いわゆるお山の大将みたいな感覚になっていました(笑)。

しかし、シンガポールに滞在した際に、すごい人はどこまでもすごいんだと改めて感じさせられましたし、私はまだ小さな価値観の中で過ごしていたんだと実感させられました
シンガポール国立大学に何度か行った際、大学発スタートアップ専用のビルや、長期休みでありながらフリースペースを埋め尽くし机にかぶりつく学生の顔などを見て、これが成長している国の在り方であり競争社会なんだと衝撃を受けました。

50年という短期間でそれを達成したシンガポールと対比的に、いつまでもビジネスハブになるポテンシャルがあると言われているだけの沖縄のあり方に疑問を抱くようになりました。そして、それは解決できる課題なのではという意識に変わっていきました。

そういった意識から、実際に沖縄に帰ってきて何かアプローチする機会はありましたか?

帰国直後に関しては、大学4年生の10月で卒研のことを考えている時期だったので正直なかったです。私が先ほどのようにシンガポールで考えたことは、行ってしまえば自分の中だけで盛り上がった話であって、周りの人たちはそれぞれの生活があるので、帰国時はそういった周囲とのギャップを感じ「浦島太郎」状態になりました(笑)

これは留学した人の多くが感じていると思うのですが、留学を経験した本人は価値観の変容だったり、マイノリティの経験や大変な環境の中で自己成長したりしてきたという自負のようなものがあると思うのですが、帰ってみれば、それを求められていないと感じることが多く、案外自己満足で終わってしまうののではないかと思います。私がそれに対して恐怖心を抱いたのが帰国直後でした。

大共感です。私もカナダで価値観が大きく変わったんですが、実際に何か行動に移すかと言われたら、結局何もできない自分がいます。私にとって留学は他の大学で勉強する初めての機会でもありました。新潟県立大学は4つの学科しかないとても小さな大学なのに比べて、セントメアリーズ大学はさまざな分野が集まる総合大学なので、私の大学では出会えないような様々な学生に出会いました。例えば、専門分野の職種でほぼフルタイムで働きながら学業も両立する学生や、理系の学生でパソコンを常に持ち歩いて、休み時間にみんなで話している側で急に仕事をはじめる学生がいてとても衝撃を受けました。

また、他の国からの留学生は留学はただの過程に過ぎないと考え、留学の先にさらにはっきりとしたビジョンを持っている人がとても多かったので、自分はまだまだだと感じさせられました。帰国後は、平良さんと同じく価値観の変容と現実とのギャップで葛藤しました。私の地元も新潟の田舎なので、周りよりも突出しないように、人並みを求められる環境で育ってきました。しかし、周りと違う存在になることでこそ新しいことに取り組んでいけるのではないかと、今はその環境に疑問をもっています。

その苦しみはすごく適切な気がします。私の中で「沖縄」「日本」という主語で物事を考えるようになったのはシンガポールに行ったことがきっかけです。私も帰国後しばらくは、そのモヤモヤを抱えたまま学校生活を送っていたんですが、一人の学生に何ができるのかという気持ちと、このモヤモヤをどうにか解消できないかという気持ちがありました。

ですが、私はその状況のときに、たまたま私と同じ考えを持つ同級生に会うことができました。その子も同じくトビタテの奨学金のおかげで留学にチャレンジすることができた方でした。そして、自分たちのように海外に挑戦しに行く人を増やしたいということで合意し、誰でも使える奨学金の情報をみんなに知らせるイベントを企画しようという話になりました。今でも日付を覚えていて、2月15日でした。初めは、高専卒業後の春休みにやるかという話をしていたんですが、企画を進めれば進めるほど、1000人集めようという大きな話になったので、いろんな方に相談したのちに、内定先を辞退しイベントに専念することを決めました。

そのことを親には一切相談せず、卒業式の前日に父親に土下座をして「イベントに専念したいから2年沖縄においてほしい」と懇願しました。それが現在の職に至る一番最初の行動でした。一般的にモヤモヤを抱えたまま就職をする方が多いと思うのですが、あれだけマイノリティーの中で留学した人が、日本に帰ってきてそれをなかったことにされて就職することは国益の損失と考えたんです。
なので、私は後輩たちが帰国したあとにしっかりと能力を生かせるような世間になればという思いでそのイベント運営を始めました。でも親からしたらびっくりですよね、当たり前に自分が悪いんですけど4時間正座で説教されました(笑)

すごい決断ですね、、。そしてその後2年間はイベント開催に専念されていたんですか?

そうです。留学に行く人の数とその経験の質を高めることが最初の目標でした。なので、まずは留学に行く人の数を増やすことへのアプローチから始めました。最初は沖縄コンベンションセンターに1000人を集めて、留学イベントを開催しました。学祭運営の経験もあったので、イベント運営をできるんじゃないかなと思ったのが一つと、地方の留学に関する課題の一つに情報格差ではなく、体感格差があると思ったんです。携帯から情報を得られるのに留学にリーチしていないのはなんでだろうと疑問を持ちました。そして、情報よりも「親戚のお兄ちゃんがカナダに行った」というように留学を身近なものにする方が大事だと思いました。

なので情報をWebに集めることも考えたのですが、情報を体感できるようにオフラインのイベントを開催することにしました。ブースをいくつか用意し、奨学金をもらって留学を経験した方にプレゼンをしてもらったり、フィリピンやマレーシアの語学学校の方や、トビタテの担当者の方を招いたりして、留学に興味・関心があるというところから、実際に留学に行くための情報収集をしてもらう空間作りを意識しました。

沖縄で行われた留学イベントの様子

私自身周りに留学経験のある人が少なくて、結局実体験をほぼ聞けないまま留学に行ったんですが、親はもっと留学に知識がなく、最初はすごく反対されたので、私も親とこういったイベントに参加したかったです。

私も当時親戚に「留学は大丈夫か」と心配されたのを覚えています。知らないこと=不安になったりするので、周囲の人に知っていただくという意味でも機能していたイベントだったのではないかと思います。

平良さんは、RyuLog起業前から留学に関することに取り組まれていたんですね。

そうです。親にも、イベントに取り組みながら就職についても考えたいと伝えていました。しかし、実際にやってみて学生の延長ではできることに限りがあり、法人格があったほうが良いと思うようになりました。なのでイベントなどに取り組む仕組みづくりをするために起業しました。

留学の事前準備って何が必要?

今後留学を検討している方に向けて何かアドバイスがあればお話いただきたいです!

まずはとにかく現地の言語ですね。大変お恥ずかしながら、私も当時も今も、喋れたらもっとよかったという気持ちがあるので、ぜひみなさんにはその後悔を少しでも薄くして欲しいと思います。
2点目として、身体的に現地に移動することの意義は今まで会ったことのない人と会えることだと思います。

いろんな留学生のお話を聞いて思うのが、留学をしても、学校に所属すると学校の中の人との交流だけにとどまってしまい、意外と社会人と話す経験をしていない人が多い印象があります。なので、せっかくだったらとにかく早めに社会人と話す経験はしていいのではないかと思います。
少なくとも留学に行っている方たちは海外で働きたいとか海外と繋がる仕事がしたいと思ってる人が多いと思うので、それを実現している先輩方に早めに会えるせっかくの機会だと思って、意識的に会いに行ってもいいのではないかと思います。

なるほど。私も学生としか関わっていなかったので盲点かもしれないですね。私がいたところは比較的田舎だったんですが、田舎だったからこそ日本人コミュニティなど、コミュニティと繋がりやすい環境にあったと思います。なので、そういったコミュニティに積極的に参加するというのも一つの手なのかなとお話を聞いて思いました。

あとは、留学を経験した人と日本にいるうちから繋がって情報を集めておくと、自分の安心材料になると思いますし、現地でできることも変わってくると思います。

RyuLogのスカラーシップパートナーズ?

私を含め多くの人が留学資金の面で苦労することが多いと思います。実際私の友人にもお金の面で留学を諦めるという人が多くいました。そういった人たちにとってRyuLogさんのサービスはとても画期的なものだと思うのですが、そこに込めた思いをお聞きしたいです。

まさに、留学に一番大事なことってご自身でいろんなことを頑張るということはもちろんなんですが、外部から一定用意ができることで、ご自身がしなくていい苦労もあると思うんです。
留学に行くにあたって重要なのが情報お金だと思うのですが、それを揃えてあとはご自身の努力次第でチャレンジできるという状態を作ることが大事だと思っています。

それに関して、情報は、留学エージェントもいるし、Webサイトもあるので比較的集めやすいと思います。それに対して、留学中にその学校で学べることや留学後のキャリアについてはあまり情報としてまとまっていなかったりするし、個人の経験に依存することから、意外と公開しない人が多いんです。
なので弊社では現在、そのような情報をまとめられる仕組みづくりを進めています。その情報によって留学自体を目標にするのではくて、留学を手段としてその先皆さんがしたいキャリアに紐付けて行くことで留学そのものの価値を高めていく方にフォーカスを当ててほしいと思っています。

もう一つは、まさに奨学金の部分で、これは私の思想だったりするのですが、日本における留学の価値ってすごく大きなものだと思っているんです。極端な話、アメリカ人が留学に行くのと日本人という単一民族が海外にいくという経験はまた全く違った価値があると思うんです。

ようするに、自分たちがマイノリティーであるという経験をすることが大事だと思います。なので、今回スカラシップパートナーズというサービスを進めることで、日本の会社や社会が留学に行く人たちを支援しやすくなるような仕組みを作りたいと考えました。優秀な学生さんたちを採用できるというメリットを上手く作ることができれば、積極的に企業さんたちが留学に関しての奨学金を作ってくれるのではという大きな社会実験を試せればと考えています。

すごいです。今お話を聞いて、「留学を手段にする」という点が印象に残りました。私自身、重要視していることなんですが、留学をしたからといって何かが変わるというよりは、留学を通してやりたいことがあったからこそ自分を変えるきっかけになると思うので、留学に行く前にしっかりとそれを自分の思いとして表現できる場があるのはとても意義のあることだと思います。

そうですよね。留学という異国の地に行くことを小さい頃からの夢にしている子が多いので、留学に行くことだけにフォーカスしがちなのですが、留学したあとの方が人生長いので、その先のキャリアも我々が示せていければと思います。

RyuLogさんは「学生全員が留学に行くべきだ」とお考えになられているそうですが、そこに込めた平良さんの思いと、RyuLogさんとしてどのようにその実現をサポートされていこうとされているのかお聞きしたいです。

弊社として目指すことにざっくりと「学生全員」がということはいいつつも、行きたい子たちが行けるという社会を先人として道を開いて行ければと思っています。具体的な数字で表すと、労働人口の20%が海外経験のある社会を作りたいです。
それをしていくことで、留学経験者がそれぞれのパフォーマンスをより発揮できるようになるというのもそうなのですが、あたりまえに日本から海外のマーケットに仕事をしていくというように社会全体の意見が変わっていくと思うんです。

地方の親戚たちとの会話であっても、「今は留学普通に行くよね」とか、「あんたもちょっと留学行ってきたら?」というように社会全体の感覚が変わって行くことでやっと意味があると思うんです。今は留学経験者とそうでない人とで認識の乖離があまりにも大きすぎるので、そこのギャップを埋めていくためにもまずは学生さんたちに留学に行ってもらうというところから始めたいと思っています。

挑戦のスタートは情報収集から!

最後に、留学に興味のある学生や、実際に留学を控えている学生に平良さんから何かメッセージをいただきたいです。

そうですね、まず前提として、したいことがあればやってみてほしいという気持ちです。いろんな大人が言っていることではあるんですが、それが本質だと思います。それを聞き流すのではなく、本当にトライしていいんだと思っていただいた方がすごく楽しい経験も含めてできると思います。なので、興味のあるという段階から情報収集をしたり応募してみるという行動まで紐づけていく癖をつけていってほしいと思います。

そういった方々の最初のハードルを下げるために、我々としては一生懸命事業開発も進めて行ければと思うので、ぜひ利用していただければと思っています。また、奨学金のまとめサイトを作っている方や実際に留学支援金を出している企業の方など、実は私以外にもいろんな思いをもって動いている社会人の方はたくさんいます。
決して、皆さんが持っている想いは1人ぼっちなものではないので、既にいろんな支援があるというのは認識の上で、出されている手を見つけに動いてほしいと思います。

今回ご紹介いただいたRyuLogさんのサービスを必要としている学生は多くいると思うので、小さなものではありますが、この記事が少しでも多くの人に届くといいなと思います!

編集後記

最後まで読んでいただきありがとうございました!🙌

今回、アイルの記事の中ではなかなか珍しい対談記事に挑戦したのですが、とても充実した内容になったと思います!

平良さんが留学で得た価値観から実際にアクションに移されているお話を聞いて、私も多くの刺激を受けました。また、平良さんと私で留学の形態が全く違ったんですが、自分とは異なる体験談を聞けて、新鮮で興味深かったのと同時に、気持ちの部分で共感できることが多かったので、私自身とても有意義な時間を過ごすことができました。

記事の中で紹介された株式会社RyuLogのスカラーシップ制度は多くの学生の背中を押すきっかけになると思います!気になった方はぜひチェックしてみてください↓↓👀

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