一般社団法人ホワイトベース代表 石子貴久さん|「あなたの知らない世界の扉、開けます」【前編】

今回インタビューさせていただいたのは、一般社団法人ホワイトベース代表の石子貴久(いしこ たかひさ)さんです。過去に世界一周を行った経験がある石子さん、とにかくポジティブチャレンジ精神旺盛な方でした。今回は前編の記事になります!

記事への思い

ぜひこの記事を読んでくださっている方にも、石子さんのようなポジティブさとチャレンジ精神を持ち、色んなことに挑戦したいと思ってもらいたいです!
誰かの勇気の一歩を踏み出せるような記事になりますように…!


本日はよろしくお願いいたします!
まずはじめに、石子さんの自己紹介をお願いします!

僕は1978年生まれで、現在43歳、神奈川県民です。
一般社団法人ホワイトベースという法人で教育支援を行っています。
主にカンボジアをフィールドに活動していて、メインの活動として日本の若者向けにスタディツアーを行っています。法人立ち上げもスタディツアーだったので、どこにも負けないくらいの内容でやりたいと思っています。

アイルの皆さんが学生に対してポジティブ精神とかチャレンジ精神を持ってほしいと思っているように、僕も全く同じ思いやモチベーションでスタディツアーを開催しています。

海外に行こうと思ったきっかけ

では、石子さんが海外に行こうとなった一番最初のきっかけは何ですか?
最初はどのような目的・目標をもって海外に行こうと思ったのですか?

人生の深い話になるんだけど…。
子どもの頃から「ここではないどこか遠くに行きたい」という思いがありました。
一番古い記憶が幼稚園の頃。自転車に乗って大人がびっくりするくらい遠いところまで出かけちゃうなんてこともありました。

中学校の時は神奈川県の湘南に住んでいたんだけど、自転車で箱根(箱根駅伝で出てくる”箱根の山”)まで一日かけて旅することとかもあって。高校二年の時には250ccのオートバイにテントとか積んで、神戸の方まで行きました。当時、阪神淡路大震災があったから被災地を見に行きました。高三の時は北海道をぐるっと一周したりとかもしました。

そのあと一年浪人して、大学一年の夏休みに沖縄を一周しました。神奈川県からバイクでひたすら日本列島を西に行って、鹿児島から船にバイクを乗っけて、那覇まで行ってからぐるーっと。帰りは九州の裏のほうを通って帰ってきました。

それから、もうオートバイで北海道も沖縄も行けたし、日本を制覇したから「次は海外だな」って思ったんです。
大学一年生の春休みに初めての海外でインドに行きました。そのあと長期休みの度に海外旅行に出かけ、ついには大学を休学して行きたい国に全部行ってしまおう!と計画します。

地球って平らだったらひたすら遠くに行けると思うんだけど、残念ながら丸いですよね。「じゃあせっかくなら一周しちゃおう」って思ってずっと西に進んでいたらなんか日本に戻ってきちゃったって感じです(笑)
世界一周は結果的に1年7か月の旅になりました。

とにかく‟遠いところに旅する”チャレンジが楽しくて。違う世界も知れるし、自分の力でこんな遠いところまで来たんだという自信にもなっていきました。

最終的に海外に辿りついたということですね!
「じゃあせっかくなら一周しちゃおう」というフッ軽な感じ、好きです(笑)

やっぱりその頃になると、もう「石子=旅が好きな人」っていう風に友達の中でも認知されるようになったりもして。
”サッカーうまい人”とか”勉強ができる人”とかそういうレッテルが欲しいじゃないですか。
レッテルがないと不安だなって感じた時に、じゃあ俺は「旅が好きな人」でいこうって思ったんです。だから10代から20代にかけて、誰にも負けないような遠いところとか、面白い旅とか、人が行かないような所とかに行こうと頑張っていました。

レッテルという言葉は一般的に悪い評価とされるものだと思っていましたが、良い印象も与えることができるのですね!レッテルを持っていることは「自信」にもなりますよね。
「旅が好きな」石子さん、素敵です!

でもやり方が派手だったなあって自分でも思います。
今バイク乗り回してる高校生なんていないですよね。当時も珍しがられました。

私の年齢(20歳)のころにはもうオートバイに乗って、沖縄一周が終わってますもんね…

確かにそうだね。のこの年齢だったら色々経験してた時期だなあ…
20歳になってやっと初海外、しかも自分でお金を貯めていったからすごい感動したっていうのを覚えています。
特に初めての成田空港にはめちゃめちゃ感動したね。「うわー!ドラマで見るやつだ!」って(笑)デビュー戦(初海外のインド)は本当によかったなあ。

あと、「冒険が好き」っていうのがあって、小さいころからファミコンで「ドラゴンクエスト」のゲームをしてたんだよ。だから大人になったらリアルな旅をしてみたいっていう野心を持ってたっていうのも海外に行こうとした理由の1つかな。

経緯を改めて聞くと些細なきっかけからでも大きなことに繋がるんだなあと実感します。

パキスタン バードシャーヒーモスクでのお写真

海外での活動

では次に、海外に行った先での「目的」について教えてください!

「色々な経験をしたい」というモチベーションで、インドではマザーテレサのボランティア施設でボランティアを経験しました。「死を待つ人の家」(注1)と呼ばれる施設では、世界中から来たボランティアの方たちと一緒に掃除や食事の提供をします。そうした活動の中では、人生勉強だったり非常に得るものが多く、予期せぬ学びを得ることもが目的だったと思います。

(注1):「死を待つ人の家」とは
1952年、マザーテレサによって設立された。
貧困や病気などにより、「死を待っている」人の最期を看取る施設のこと。

カンボジアに関するスタディツアーなどの事業は2011年くらいから始めました。それまでは基本的に旅する目的=「面白いから」「自分の成長のため」でした。経験を積んで、「英語を話せるようになった」や「外国人に対して物怖じしなくなった」とかレベルアップしていくのを実感するのがすごい楽しかったという思いが、事業を開始することにつながりました。

世界一周っていうのは、後で振り返ってみると「自分がいろんなものを学べた大学」みたいな感じ。そして、今度は学ぶ側じゃなくて、そういう学びの場を提供する側になろうって思ってカンボジアのスタディツアーを始めました。バラエティ番組「電波少年」で9か月間学ばせてもらったエッセンスと、世界一周の経験から学んだエッセンスをほかの若者に提供したいと思ったんです。

バラエティ番組「電波少年」では10人ほどで道を舗装しながらアンコールワットを目指すというミッションを達成しました。当時は人気の番組だったんだよ。

「電波少年」、聞いたことあります!
世界一周の中で、自分を高めるために行ったことはありますか?

戦後のアフガニスタンに行ったことです。
そこで、「人間っていうのは、戦争の歴史なんだな。」って悟ったんです。
縄文から文明が発達して、色んなものが進化したのに戦争だけは昔から変わらずあるものだって気づいたんです。当時のアフガニスタンは、9.11から始まったアフガン戦争がまだくすぶっていたり、フセイン政権を倒したイラク戦争の際には、トルコやシリアなどの周辺国を旅していました。

「自分を高める」ために「世界を知る」っていう意味で、戦後のアフガニスタンに行ったことは自分にとって挑戦でした。自分の目、感性で「戦争すると国はどうなっちゃうのか」っていうのが見たかったから現地に行って12日かけて横断しました。
世界の激動の潮流を最前線で見たって感じです。

アフガニスタン バーミヤン遺跡でのお写真

なかなか現地に見に行くっていう勇気はでないですよね、戦争とか危険なところならなおさら…。

行くか行かないか迷ったこともあったけど、とりあえず行ってみようっていう挑戦で結果的に行ってよかったなって思います。ボランティアを必要としている人たちとかも世界一周の中で見つけることができたので。やっぱり世の中全部つながってるんです。

ご自身の経験につながる経緯や、海外に行った先での活動についてたくさん教えてくださいました。石子さんのお話から「小さなきっかけが大きい成果につながる」ということは本当で、地道な努力も無駄ではないのだという感じました。後編ではさらに石子さんの過去の経験をお聞きしました。その中でポジティブさの秘訣も教えてくださいました✨お楽しみに!

※記載の大学や学年は取材当時のものです

この記事を書いた人

新潟県立大学国際地域学部4年生。ライターとして活動しています。
人にいい影響を与えたいということはもちろん、私自身も成長できるような記事を書いていきたいです!
そして、読んでくれた人に少しでも「面白い!もっと読みたい!」と思ってもらえるような記事を目指します。

社会人インタビュー
シェアする
アイル
タイトルとURLをコピーしました