自ら環境を作り出していく | TeNY 大島巧アナウンサー【前編】

いつも記事を読んでくださりありがとうございます😊
今回は社会人インタビューとなります✨
生き生きと働いている新潟の社会人を取材することで、学生に新潟県の可能性に気づいてもらいたい!
そんな思いが社会人インタビューに込められています📌

学生視点での新潟に留まらず、社会人視点からの新潟も知る
そして、今まで気づかなかった新潟自分自身を発見していきましょう💡

なんと、、!アイルが現役のアナウンサーにお話をお聞きすることができました!
今回取材させて頂いたのは、TeNYの大島巧アナウンサーです!

大島アナウンサーは東京出身で、2021年4月にTeNYへの就職を機に新潟にいらっしゃいました。現在はスポーツコーナーを中心に様々な番組を担当されています。

就職活動時代や現在の話から、大島アナは自分の理想の姿を思い続ける力と、実際にそれを叶えるための冷静さを持ち合わせている方だなと感じました。大島アナの言葉から、夢や理想を叶えるヒントを得られるのではないでしょうか?

前編となる今回は、大島アナの学生時代やアナウンサーを目指された理由をお伝えします!

ゴルフ部時代はレギュラーに入れなかった

本日はよろしくお願いいたします!

よろしくお願いいたします!

まず最初に、大島アナが学生時代に力を入れていたことについて教えて頂きたいです。

学生時代は部活に一番力を入れていましたね。体育会のゴルフ部に入っていました。

そこから学んだことは2つあって、1つはリーダーシップ取ることについて、もう1つはゴルフは個人スポーツなので、個人の自己成長のために必要なことを学びました。

ゴルフ部での活動のご様子

リーダーシップは具体的にどのような経験から、学んだんですか?

大学時代に10kg増量した経験から”食トレ班”という、食事とトレーニングの管理で体づくりをサポートする班の班長を任され、そこでリーダーシップを学びました。

部員から朝昼晩、毎食の食事記録を全部貰ってアドバイスをしていました。自分以外の選手がどうやったら成長するか、食トレに対して後ろ向きな人をどう巻き込むかを学びました。

先ほどゴルフは個人スポーツだと仰っていたんですけど、食トレ班はチームのための活動だと思いました。どうしてチームのためにそこまでできたのでしょうか?

それで言うと、僕は部内でレギュラー選手に入れなかったんですね。だから部に何か還元したいという気持ちもあったのですが、それよりも自分がいる意味を見出したかったんです。食トレ班だったら自分がリーダーとして活動できるし、存在価値があるなと思い、活動していました。

なるほど、自分の得意分野を見つけて活かしていく、自分が必要とされる場所を作り上げていったんですね。

アナウンサーを目指すきっかけは身近なところに

次に、アナウンサーを目指された理由を教えて頂きたいです。

アナウンサーを目指すきっかけになったのは、大学1年生のアルバイトなんですよ。海外で行われるゴルフ大会の中継のアルバイトが、部内で代々受け継がれていたんですね。

部内で募集がかかったときに、ゴルフもテレビも好きなので立候補してアルバイトに行きました。そこには僕の他にアナウンサーと、元プロゴルファーの解説者の方がいました。そこで自分の好きなゴルフとテレビ、両方が掛け合わさる瞬間を自分の言葉で作っているアナウンサーってかっこいいなと思ったんですね。

そのアルバイトを1年半ほど続け、いざ3年生になって就活について考え始めたときに、そこで改めてスポーツ実況をしたい、アナウンサーになりたいと思い、本格的に就活を始めました。

そうだったんですね。アナウンサーを目指す方はとても早くから準備している印象があるのですが、実際どうでしたか?

早い人は1、2年生くらいからアナウンススクールに通うことがよくあるんですけど、そういった意味では僕は遅かったですかね。

24時間テレビに出演された際のお写真

部活と就活の両立。自分の人生を諦めない!

少し遅めにアナウンサーになることを決めた後はどのような行動をとられたのでしょうか。

アナウンサーになろうと決めたのが3年の4月で、同じ大学で既にアナウンススクールに通っている仲間もいました。ですが僕は部活をしていたため同じコースには通えず、まずは短期でアナウンススクールに通いました。みんなが1、2年間積み上げてきた発声や喋り方などを1週間でできるだけ吸収しました。

その後はいろんな繋がりを使って、アナウンサーの人に会いに行きました。1、2年生の時からアナウンサーを目指していた人に時間では勝てないから、内容で勝とうと思って、戦えるフィールドまで来て、応募した感じですね。やれることは、短い時間でやりました。

そう言いきれるぐらいまでされたのは、本当にすごいですね。

すごく大変でした。部活も3年生の一番大事な時期だったので、部活もあって、就活もあって。でもやっぱりアナウンサーになるって決めたからには絶対なろうと思っていました

どのような時間のやりくりをしていたんですか?

優先順位をつけていましたね。大事な時期はやっぱり就活ありきのスケジュールを1ヶ月組んでいましたし、でももちろん部活は出ていました。部活にも迷惑かけたくないし、自分の人生にもという気持ちでやっていましたね。

どちらの活動に対しても覚悟があったんだなと感じました。

学生時代に小学生の家庭教師をされていた際のお写真

アナウンサーになりたい!後悔しないためにもう一度。

就活ではアナウンサー以外の職種や業界も見られましたか?

見ていました。アナウンサーになれるのは一握りって自分でも分かっていたので、他の業種も受けましたね。それこそTeNYに受かる前に他の内定を頂いていたんですけど、やっぱりアナウンサーなりたいなって思って、もう1回ギアを入れ直したときもありました。

アナウンサーへの思いが強かったんですね。

そうですね。実はアナウンサー就活があまりうまくいかなくて、他の企業に内定を頂いていたので1回就活を辞めたんですよ。その頃アナウンサーに内定した友達とご飯に行って、まだ働いてもいないんですけど、やっぱり楽しそうだなと思っちゃって。

だったらモヤモヤしたまま社会人になるよりも、もう一度引き締めてやれるところまでやろうと。その結果、縁があって今新潟でアナウンサーができています。本当にいい選択をしたなと思いますね。

一度内定を頂いた後にギアを入れ直すのは精神的にも大変だと思うので、本当に凄いなと思います。

新たな発見を求めて自ら異なる環境へ!

TeNYのホームページを拝見した際に、大島アナが様々なバックグラウンドを持つ人と関わり、その方の思いを発信したいと仰っていました。そう思うようになったのはなぜですか?

ボランティアの影響が大きいですね。僕は小学校から大学まで一貫校で、皆が受験勉強をする期間、親からボランティアをしなさいと言われていたんですよ。そこで高齢者施設や、障害者施設など、いろんなボランティアをする中で自分が出会ってこなかった人に会い、様々な現状を知りました

アナウンサーになったからには、そのような様々な人の声をちゃんと吸い取って、それを電波に乗せていろんな人に届けたいという思いがあります。

ゼミの最終授業での発表のお写真

なるほど!ずっと1つの組織だと閉鎖的になるのかなという偏見があったのですが、そうではなくて、異なるバックグラウンドの人とも関わっていたんですね。

はい、そうなんですよ。そして大学では、日本だけでなく世界中から集まる視座の高い仲間と学べる喜びを日々感じていました。

ゼミも自分の学部とは全く違うゼミに入り、異なる考え方の集団に1人で飛びこんで学びました。閉鎖的になっちゃうからこそ、自分から飛びこまないと新しい発見は無いじゃないですか。

違う世界を知りたいとか新しい環境に行きたいという気持ちは、昔からあったのでしょうか、それともボランティアがきっかけでしょうか?

結構親に言われていたのがありますね。僕の父もずっと一貫校で、小さい頃から「そこだけで固まるんじゃなくて、いろんなところから情報を得なさい」という教育があったので。でも最初の方は何かうるさいなって思っていたんですけど、だんだん、、。大学が僕を変えましたね。

ゴルフ部に入って、結局大学入っても同じ人達と集まってんのかいってなっちゃって。3年生のときに、ゼミに入ってガラッと変わりましたね。結局同じ仲間といたのが良かったこともありましたし、いや、ここじゃ駄目なんだなって気付かされたこともありました

大学で異なる環境に飛び込んだことが、大島アナを変えたんですね。自分から異なる環境に飛びこむことの大切さを改めて感じました。

後編では、アナウンサーというお仕事の楽しさと難しさ、目標を達成するための方法についてお聞きしました!お楽しみに!

~お薦め!大島アナの出演番組~
・『夕方ワイド新潟1番』内の生中継
・スポーツ実況(初めてスポーツ実況した際の大島アナの心境はこちらのブログから

~サウナやボードゲームなどプライベートも見れちゃう!?大島アナのSNS~

編集後記

今回の取材で最も印象に残ったことは、大島アナが自分に対して全く諦めていないということです。自分ならできる」と自分を信じ、「絶対に成し遂げてみせる」という強い意志を感じました。私は成し遂げたいことがあっても途中で諦めてしまうことがあります。大島アナのように最後まで行動できるようになるにはどうしたらいいのだろう?と思い、質問してみました!実際に大島アナが行っている方法を後編で紹介しています!ぜひご覧ください!

※記載の大学や学年は取材当時のものです

タイトルとURLをコピーしました